絶望の海岸③

朗読版:


 

文章版:

小学校卒業後から「もっこ」をかついで、

(↑ 砂が入ったかごに木の棒を渡して、前後を二人でかつぐ作業具)

50年間、炎天でも雪の日でも空の下で働いて、

最期、空の下で、あおむけで、空を見て、

 

稲刈りが終わって少し経った頃、

泥と砂の土の上で、突然、死んだ。

 

日本酒は、とっくりとおちょこでは無くて、

ガラス製の、牛乳とかを飲む、大きなコップに、

一升瓶からダイレクトに注いで、飲んでいた。

 

日本酒をウイスキーで割っていることもあった。

 

ねえ、どうしてお酒を飲むの?

 

一番安いタバコの銘柄。

 

どうしてタバコを吸うの?

 

わたしが髪を切ったら機嫌が悪くなるのは、なぜ?

 

頭はいつも「ずべ」(ほとんどスキンヘッドの坊主)。

短い髪がびっしりあって、全然ハゲてなかった。

 

死体を見た。

あごが、下がってきているだけで、

呼んだら、返事が返ってきそうなくらい、

まだ、生きているみたいだった。

 

そのころ、わたしの背は伸びはじめていた。

半年前に買った制服のスカート、

ウエスト部分を折って短くしているんじゃないか、

って、クラスメイトに言われて、

いきなり上着をめくられる嫌がらせを受けたことがあったくらい。

 

同じ時期に買ったローファーも、

もう小さくて、痛くて、歩けなくなっていた。

 

長靴を履いて、作業着を着て、

わたしと最期に会ったのは、

朝、登校直前、自転車で、家の前から中学に行く場面だった。

 

わたしは、中学に行くのが、とても嫌だった。

だから、朝は、いつも食欲が無いし、元気も無かった。

駐輪場も、嫌だった。

家で、包丁を部屋に持っていって、からだにあてたこともある。

でも、怖くて、切れなかった。

 

わたしが泣くと、「泣くな!!強いもんになっとれ!」と、

まわりの大人がみんな怒鳴った。

 

わたしは、あと3日後に死ぬ人の前を、素っ気なく通り過ぎた。

 

その、3日後に死んだ人が、わたしの後ろ姿を、

田んぼ道を、見えなくなるくらい遠くに行くまで、見ていたことを、

後から知った。

(最期だったのにあんな態度だった、という母からの言葉で。)

 

家から中学までの途中にある公衆電話ボックスから、

一度、テレホンカードで家に電話をかけた。

5月くらいの季節が、

昇ってしまった朝日で、わたしを緑色にしていた。

 

学校に行きたくない、と、言った。

左耳から聞こえたのは、「行け」と、怒る声だけだった。

 

わたしは、

中学で一番の成績になって、

通える範囲で一番の進学校の高校に行って、

一流大学に行って、

一流企業に就職したら、

この人たちや、苦手な人たちから怒鳴られることも無くなる、

嫌がらせを受けることも無くなる、

その頃から思っていた。

 

その計画は、一流企業に就職、までは達成できたけど、

今いる場所でも、嫌がらせは、消えていない。

そこから400kmも離れた場所なのに、

おなじような人は、どこにでもいる。

 

あのとき、中学へ行くわたしの後ろ姿から、

わたしの、その計画が達成されて、

わたしが、人前で泣かなくなっただけで、今でも泣き虫なことを、

3日後死ぬ人は、予測できただろうか?

 

つづく

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2014年12月28日 絶望の海岸③ はコメントを受け付けていません。 絶望の海岸