あなたは、東京芸術大学の卒業・修了作品展に行ったことはありますか?
わたしは、2013年1月、東京芸術大学の卒業・修了作品展に行ってきた。
東京の上野まで、はるばる、新幹線に乗って。
時速270kmの子や!
なぜ行ったかというと、そこはわたしが絵を描ける場所か、判断したかったから。
注意点:
ここで書くことのもとになっている情報は、
「東京芸術大学・大学院が、公式に発表した情報」では無い。
ただ、時速270kmの子が、
東京芸術大学の卒業・修了作品展に行ったときに認識したことのなかで、
少なくとも、わたし自身において絵を描ける場所ではないと、
進路を改めるに至った原因と捉えたこと、について書く。
ちなみに、時速270kmの子は、芸術の専門家とかではない。
ただの、絵を描くのが好きな子。
東京芸術大学の卒業・修了作品展のために、
金曜の夜から東京入りして、
土日泊まりがけで、2日間、見物してまわろうと計画したけど、
日曜は、行く必要がなかった。
土曜のうちに、判断できてしまったから。
わたしは、翌年の、東京芸術大学の受験を考えていた。
でも、受験は、やめることにした。
東京芸術大学が、わたしが絵を描ける場所ではないと判断した理由:
①必ずしも全員に、作業用の個室が用意されるわけではない、らしいこと。
(2013年01月26日現在の予想。)
②わたしが、芸術の創作に必要だと考える、
テクノロジーの基礎となるような授業が、おそらく無いこと。
(2013年01月26日現在の予想。)
③卒業・修了作品展の作品を見るのに、わたしは耐えられなかったこと。
「①東京芸術大学では、
必ずしも全員に、作業用の個室が用意されるわけではない、らしいこと。
(2013年01月26日現在の予想。)」
について:
わたしは、鍵付きの個室でないと、絵が描けない。
パーテションで区切られている個人スペースじゃ、描けない。
鍵付きの個室以外は、
絵を描いているときの自分の顔を、誰かに見られる可能性があるから。
その顔を、見られていたら、やっぱり描けない。
それに、集中して絵を描くときは、わたしは夏でも寒くて震えるから、
エアコンの希望の設定温度が、他の人と違うかもしれないから。
(わたしは絵を描くとき、
例えば夏、体の周りの気温は高いのに、体の内側から寒気がして、
暗くて寒い場所に来たような気分になる。
もっと暗くて、もっと寒い場所まで、たぶん行くには行けるんだろうけど、
あんまり行ってしまうと、
もといた、暑い夏があった世界には、2度と戻れなくなるような、
なんとも怖い気分になる。)
「②わたしが、芸術の創作に必要だと考える、
テクノロジーの基礎となるような授業が、おそらく無いこと。
(2013年01月26日現在の予想。)」
について:
芸術の創作に必要だと考える、テクノロジーの基礎とわたしが思う科目として、
たとえば
基礎解析、離散数学、線形代数、電気回路、電磁気学、
論理設計、パターン認識、情報理論などを挙げる。
わたしは、テクノロジーを理解でき、
「意図した表現が実現できるテクノロジー」を作り出せる力は、そのまま、
「芸術を創作する力の基礎」だ、と思ってる。
テクノロジーの設計ができることは、
自分自身が意図した表現ができるということ、
つまり、
芸術の創作ができること、を意味する。
「テクノロジーを作った人によって意図された、
テクノロジーを作ったその人の表現を、
その人に代わり表現させられている人」を、わたしは、芸術家とは思わない。
芸術は、いつも、新しいテクノロジーを使った表現を必要とする。
そして、そのテクノロジーは、
「意図したことを表現したい人自身」が設計、作成した場合のみ、
意図した表現が可能といえる、「表現に必要なテクノロジー」となり、
その結果なされた表現だけを、芸術と、わたしは呼ぶ。
「③卒業・修了作品展の作品を見るのに、わたしは耐えられなかったこと。」
について:
東京芸術大学の卒業・修了作品展で展示されている作品は、どれも、
わたしから元気を奪った。
わたしは、わたしから元気を奪うものを作りたくないと思った。
以上の文章では、
わたしが、東京芸術大学の、翌年の受験をやめた理由を書いた。
また、わたしは、東京芸術大学は日本国内の芸術大学の中では、
一番偏差値が高い、難関大学だという認識も持っていた。
(2013年1月26日現在の認識。)
東京芸術大学が、卒業・修了作品展というかたちで、
情報を公開してくれていたおかげで、
わたしは、わたし自身の理解が進んだ。
東京芸術大学の卒業・修了作品展に関わられた全ての方への感謝をもって、
わたしは東京を後にした。