わたしがこれ以上食事をとった場合の利点について、検討する。

あなたは、今日はごはんを食べましたか?

 

わたしは、

食事の利点について考え始めた子や!

2014年9月13日、午後9時40分。

 

黒の半袖シャツを着て、

会社での部活用にムラサキスポーツで買った、

アディダスのカーキ色の7分丈ハーフパンツを、

ひざうえまで折り上げてはいているわたしは、

 

無印で買った5000円の、合板の机の上で、

この文章を書き始めた。

 

今日は、昼12時に目覚めてから、

緑茶を飲んで、

じゃがいものみそ汁と、ごはんをひとくちと、

ショウガをのせた絹ごし豆腐を少し食べた。

それ以降、現在時刻まで、

水以外は口にしていない。

 

わたしは今まで、

「お腹がすいた」からごはんを食べたのだろうか?

それとも、

「生きるために必要」だからごはんを食べたのだろうか?

 

お腹がすいたからごはんを食べた、のだとしたら、

それは、なぜだろう。

 

たとえば海とかプールで泳いだ後は、

お腹と背中がくっつくような感じがして、気持ちがいい。

 

仕事をしていて、夕方くらいになったときも、

おなかが細くなった気がして、

あと、少し頭痛がする。このときはあまり気持ちよくない。

 

わたしは、いま、少し気持ちいいけれど、

おでこのあたりがあったかいような、

しびれているような、感じがする。

(ちなみに今朝、体温を測ったけれど、熱はなかった。)

 

あと、立っていると、少しふらふらするかもしれない。

でも座っていたら、なんともない。

 

この状態がもっと続いたら、

より、お腹がすいた状態、ということになるのかな。

わたしは、まだ、お腹がすいた状態、ではないのかもしれない。

 

そういえば、

一般的には、

一日三食必要カロリー分、

必要栄養素を食べることが良しとされているけど、

ほんとにそんなに必要なのかな。

 

実は、

食品を売る人の仕事を作るためとか、

会社保健師とかの、食事指導とかいう仕事を作るためや、

食べ過ぎて太ってしまった人から搾取する病院の陰謀の可能性とか、

あるんじゃないかと思ってしまう。

 

私の知人で、

野菜は一切食べないで、肉しか食べなかった人がいたけど、

その男性は、健康に75歳くらいまで生きた。

 

ちなみに、

メタボとかの病名や、健康診断の採血とかは、

病気の数を増やして、

看護師や医師の仕事を確保するための手段だと、

わたしは思ってる。

だって、

身長と体重の理想比率が、

全ての人の遺伝子や置かれた環境で常に一定値、

なわけないじゃん。

 

少し太っていたほうが体調がいい、という人もいるし、

やせてたほうが雇用がある人(たとえばモデルさん?)もいる。

 

採血で、注射針を血管に立てられるとき、

大事な神経を傷つけられしまう危険もある。

(わたしは最近、静脈麻酔をしたんだけど、

回復のめやすの3週間がたった今も、

針を刺された左手の違和感が消えない。)

 

…だめや、左手が気になって、文が書けなくなった。

よし、いったんシャワーに入ってこよう。

 

2014年9月14日、午前0時3分。

シャワーから出た!

 

シャワーから出たら、ひらめいた。

おなかがすいたからごはんを食べる、のではなくて、

ごはんを食べたくなったときが、

お腹がすいたとき、なのかもしれない。

 

ということは、

おなかがすいている、という概念は、

存在しない、ということになる。

 

だから、今までわたしがごはんを食べていたのは、

「ごはんを食べたくなったときがあったから」

または、

「生きるため」

のどちらか、または、どちらともの理由によるためだ。

 

いま、ごはんを食べたいか?と聞かれたら、

食べたくない、と答えるだろう。

 

だから今は、

「ごはんを食べたくなったとき」では無い。

 

じゃあ、

「生きるため」に、いま、わたしがごはんを食べることになるなら、

考えるポイントは、

わたしは、生きたいのか?だ。

 

ちなみに、わたしが生きる必要は、ない。

つまり、わたしは、生きて義務を果たす必要は、ない。

借金を返すために働かないと連帯保証人に迷惑がかかる、とか、

子どもが育つのにお金がかかる、とか、

そういう懸念事項は、今は、ない。

 

わたしが、

明日、まだ生きていて、明日、お金を稼いで、

その後、そのお金を渡すべき人は、いない。

 

もし、上記のような、生きる必要がある場合、

わたしは生きたいのか?、という問いは、生じえない。

 

今、生きる必要は無いので、

わたしは、生きたいのか?

について、考えることができる。

 

わたし以外の、

生きている人たちが味わっていそうなイベントについて、

わたしが味わいたいかどうかを考えてみる。

 

人間は生物だから、繁殖は一大イベントだ。

でも、

わたしは、恋人がほしくない。

もしとてもかっこいい男の人がいて、その人が好きになっても、

その人に、触られたくないし、肌をくっつけたくない。

はだかを見られるだけならいいけど、触られたくない。

 

触られると、

わたしの肌にその人の手のひらにいる菌がつく気がするから。

 

あと、もし肌をくっつけてしまったら、

その人の肌にいる菌がわたしの肌につくだけではなく、

くっついたという事実が、わたしの頭の中に残るから。

 

体を洗っても、

その菌は落ちていないんじゃないか、

体の内部や血液にも菌が取り込まれてしまっているかもしれない、

と、悩むことになるから。

 

あと、

そのかっこいい人と、わたしのあいだの子どもも産みたくない。

 

そのかっこいい人の子どもは、

わたしとは違う、

鼻が高くて、出っ歯やすきっ歯じゃ無くて、小顔で、

頭が良くて、音痴じゃなくて、騒がしい場所でも集中できて、

わたしより背が高くて体重が軽くて手足が長くて肌がきれいで、

すべてにおいて勝っている、

強い、かっこいい、美人な女の人に、産んでほしい。

 

わたしの遺伝子は、絶対に残したくない。

 

いま、午前1時45分。

涙が止まらなくなった。なぜだろう。

 

わたしは、鏡はできるだけ見ないようにしているし、

証明写真以外の自分の写真は、ほぼ無い。

 

顔を整形しても、遺伝子の整形は出来ない。

 

わたしの遺伝子を残すことは、テロだ。

 

わたしが親を恨んでいる一番の理由は、

その発達障害の脳みそ、鼻の低さ、音痴さ、口元の不細工さ、顔のでかさという

劣った遺伝子を組み合わせて、わたしを生み出したことだ。

 

わたしの心は遺伝子を残したくなくても、

わたしの体では、

遺伝子を残すように仕向けるプログラムが実行されているから、

心と体が一致してくれなくて、

そのストレスが、涙になって排出されているんだと思う。

 

午前2時45分。

涙が止まった。

 

一大イベント「繁殖」は、味わいたくないという結論。

 

ほかにイベントといえば、何かあるかな。

 

音が気になって眠れなかったり、少しのことでびっくりしたり、

周りに人がいるところで集中できなかったり、食事できなかったり、

混んでいる場所が苦手だったり、虫が苦手だったり、

医者の触診がくすぐったくて耐えられなくて、

笑いが抑えられなかったり、とにかく敏感すぎて、

いろんなことが、呼吸が出来なくなるくらいのストレス。

 

こんなつらいことたちを、補って余りある利益をもたらすイベントは、

果たして、あるのかな?

 

わたしは、生きたいのか?

この問いは、なかなか難しいな。

 

生きたいのかわからないけれど、

静かな場所で、眠りたいな。

 

午前3時45分になった。

現在、まだ、ごはんを食べたいという気持ちは起きない。

生きたい、と、言い切ることもできない。

 

でも、

昨日の昼から現在までで唯一口にしている水は、美味しいと感じる。

もし生きていなかったら、この水も飲めない。

 

のどが渇いて、水を飲むのは、なぜだろう?

水を飲みたいから?

生きたいから?

 

飲める水が、いまそばにあるのは、お金で買ったから。

そのお金は、わたしの命の一部を売って、稼いだから。

 

わたしは、発展途上国の人を助ける代わりに泥水を飲めるのかな?

わたしは最近、チョコが食べられなくなった。

カカオの収穫をしている幼い子どもが、

飢えながらマラリアにおびえているっていう話を聞いて。

 

おととい、牛肉の入ったカレーを食べながら泣いた。

人間は、殺すために、牛を、豚を、鳥を、育てられる。

わたしは、恐怖や痛みを認識できる、人間と同じ動物の肉を、

自分の意志で食べていたんだ。

 

わたしは、

生きているだけで、呼吸をするだけで、

目に見えない生き物を殺している。

 

さっきから、

めまいのような眠気のような、

そんな感覚だ。

 

午前4時10分になった。

現在、ごはんを食べたいとは思わない。

生きたいのか?の問いの答えも出せない。

 

だからといって、怖いことや、痛いことは嫌い。

 

自分から人生を終わりにしなくても、

このまま、水も、何も、ずっと口にしなければ、

自動的に終わる。

 

今、わたしは、雨風をしのげる屋根と、壁に囲まれて、

布団の上に座っている。

 

このまま眠ってみようかな。

 

食事をとった場合の利点は、今のところわからない。

さっき飲んだ水は、美味しかった。

 

眠りに落ちても、すぐに音で起こされるけど、

いったん眠ってみようかな。

 

そういえば、いつだったか、

延長コード2本を使って、生きるのをやめようとしたら、

わたしの体は重いことに気づいて、できなかったことがある。

 

重かったら、火葬場の人が大変かなーと思って。

 

4:35 就寝。

 

2014年9月14日、朝9時40分、起きた。

おなかがすいたかもしれない。

生きたいのか?の答えは、まだ出ない。

 

体は生きたいみたいだけど、

心は、わからない。

 

緑茶を飲んだ。

鏡を見ないように、不細工だけど、顔を洗った。

洗濯機をまわしている。

 

みそ汁を作った。

汗ばむ陽気なのに、体が震えている。

 

10時14分、みそ汁を食べたい。

一口食べた。

21時間ぶりのごはんだ。

気持ちのいい苦しさだ。

唾液がたくさん出る感じがする。

背中に胃がある感じがする。

 

もう一口食べた。

大きい一口だ。

わたしの口は大きい。

 

10時23分、

まだ答えは出ない。

 

はっきりしていることは、

みそ汁も緑茶も美味しくて、

顔を洗うことと、洗濯物を干すことは気持ちいい、

ということだ。

 

今、このことを実感・体験できたのは、食事をとったからだ。

これが、食事をとった場合の利点だ。

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