親と対決した話。「毒になる親」「不幸にする親」という本を読んで、自分でやってみた!

あなたは、親に、本音を言えますか?

 

わたしは、幼い頃からずっと、言えなかった。

就職して、一人暮らしをして、経済的に自立したあとでさえも。

 

言ったら、親に、殺されていたと思っていた子や!

今、この文章も、存在していなかったと思う。

 

わたしは、ずっと昔に、気づいていた。

それに気づいていたけど、

それに気づいたということが、正常なことだということに、

気づかなかった。

 

わたしの父と母という人たちは、

子であるわたしが

「自分たちと異なる意見を持つこと」に

耐えられないかもしれない人たち、なのだと。

 

あと、わたしの父母に限らなくても、

そういう人たちは、

理解できない事象が起きると、

理解しようとするのではなく、

何も考えず、その源を、消そうとすることにも、気づいていた。

 

わたしには、幼い頃から、よく見る、同じ夢がある。

 

その夢に出てくる、わたしは、いつも、幼い。

小学生の、わたし。

たぶん、3年生か、4年生だ。

 

家の中から、玄関に向かって、全力で走って、

パジャマで、裸足のまま、

玄関に並んでいる靴を蹴散らして、ドアをあけて、

アスファルトが足に刺さって、痛くて、

それでも、

大通りのほうへ、出来るだけ遠くへ向かって、

橋を渡って、川を超えて、

全力で、走り続ける。

 

走るのをやめたら、

すぐ後ろに迫っている、

包丁を持って襲いかかってきている親に、殺されるから。

 

でも、ときどき、空も飛べる。

空を飛べた日は、

親から逃げ切れて、心地いい目覚めが待っている。

 

わたしが、一回の夢の中で、一度空を飛ぶと、

どれだけ高い所まで飛んでいくか、とか、地上に降りるか、とか、

それだけは、全部、思いのままに、できる。

何度か、大気圏も抜けて、宇宙に行ったことがある。

下を見ると、地球も見えなくなっているくらい、高く、遠く。

 

最初、息を止めていても、呼吸ができることに、すぐ気づく。

まわりは、クリーム色。

でも、はっきりしていて、

頭上、ずっと上を見ると、どこまでも、天井は、ない。

足元、地球を超えた下も、底は、ない。

だれもいない。

寒くもないし、暑くもない。

まぶしくもないし、暗くもない。

すごく静か。

悲しくないし、さみしくない。

こころが、とても、おちついている。

わたしは、このまま、

わたしという存在が、このクリーム世界に消えることを、

少しも怖くないと、思う。

2014-11-26 20.08.22

クリーム世界は、

いつかわたしが住んでいたアパートで、

春のあたたかい日、白い椅子に座って、

わたしの身代わりになって、あるものを、なくした人が、

最後に、わたしに、笑ってくれたことも、

わたしに、忘れさせた。

もし、わたしがいなかったら、あの、わたしを好きだった人は、

しあわせになったのかな、と思ったことも。

 

このあと、現実に目覚めるときは、本当に、おだやかな朝。

 

空も飛べなくて、

走るのも、すごく遅くなるときもある。

 

そのときの夢の終わりは、

走り続けている途中で、

苦しくて目を覚ますか、

 

親につかまえられて、

包丁でずたずたに刺されて、

叫び声とともに目を覚ますか、だ。

 

この夢に限らず、わたしは、とくに、怖い夢をみているとき、

これは夢だ、と、夢の中で、わかることがある。

そのときは、現実のわたしの目を覚ますように、

夢の中から、現実世界に、出てくるように、ふるまう。

 

そのふるまいというのは、体の手足をどうする、とかではない。

頭の中だけで、変化がある、外見では分からない、ふるまい。

 

夢から現実世界にわたる瞬間の気分は、どちらかというと、悪い。

頭も、少し痛くなる。

でも、怖い夢からは、早く脱出したいから、

わたしは、すぐ、夢からこっちに、わたることを選んでる。

 

***

 

わたしは、自分を、肯定できない時がある。

わたしは、アダルトチルドレンというやつかもしれない。

 

親から嫌われるのは、わたしが悪いからで、親は悪くない、と、

幼い頃から、無意識に、考えて、

いつも、じぶんを、責めていた。

親との関係で、だけではなく、学校や、会社でも。

 

わたしは、 経済的に親から自立して数年経った頃、

「毒になる親」「不幸にする親」という2冊の本を読んで、

親に、幼い頃からずっと言えなかった本音を、言うことに決めた。

 

本を読んで、

親に本音を言うことには、私の症状を治すことに効果がある、

と思ったからだ。

 

言った結果、親の行動が変わらなくても、問題ない。

目的は、わたし自身の症状を治すためだから。

 

わたしは本を読んだとき、

最初、

わたしの親に本音を言っても、たぶん、激怒するだけで、

場合によっては、殴られるかもしれないんじゃないか、

とか、

このまま父母が死ぬまで何も言わず、放っておいたほうが、

わたし自身にメリットがあるんじゃないか、と思った。

 

でも、本を読んでから、約2ヶ月後から3ヶ月後にかけて、

数回に分けて、これまで言えなかったことを、

父と母の両方に、

口頭で、冷静に、伝えた。

一度、涙が出たけど、涙が出ただけで、冷静な態度は変えず、伝えきった。

 

本音を聞いた父と母が、怒鳴ろうが、なぐりかかってこようが、

わたしには、関係ないと思えたからだ。

重要なことは、わたしが、伝えた、ということだ。

 

対決の記録。

 

父が、歯磨きをしていた。

そのとき、母に、

わたしが、自宅での食事中、

近くにある洗面所からの、

歯磨き粉のわずかな臭いに敏感に反応する理由を、説明した。

幼い頃に、父から、歯磨き粉くさい、と、怒鳴られたから、だ、と。

 

すると母が、「昔のことは忘れろ!」と言った。

わたしは、その言葉は、わたしへ「死ね」と言っている事を意味する、と言った。

(「忘れる事の要求」は、父母が、過去から、ずっと、

わたしに、恐怖の刷り込みを行ったという行為を棚にあげ、

わたしの人生を否定する、ということだから。)

その後、歯磨きを終えた父にも、同じことを、言った。

 

それから、

わたしが、父母に対してだけでなく、他の人へも、

言いたいことを言えなかったりするのは、

「父が、かんしゃく(感情をコントロールできない症状)持ちで、

こちらが反対意見を言うと、殴られるから、

なにもいうな、なにするかわからん、

こわい、死にたくなかったらだまっとるしかない

(↑ 母は医師ではないので「かんしゃく」だったか否かは分からない)」

 

と、私が幼い頃からずっと、母によっておどされたから、

また、父自身からの虐待、大声で叫んだり、怒鳴ったり、

ものをたたきつけたりしたこと等によるものだと、説明した。

 

それから、「疲れた」「しんどい」

のようなマイナスの言葉を言うのを、控えるようにしてほしい、

と以前から言っている理由は、

過去に、母の、愚痴の吐き出し先として、幼いわたしが使われ、

また、父の暴力行為などの影響で、

わたしが、

マイナスのシグナルを拾う性格にされるという被害をうけたためだと、

説明した。

 

父の母(祖母)に対する、母の愚痴が、

母からわたしに吐き出された悪影響として、

わたしの摂食障害、うつがおこった、と、

父と母に、はっきり伝えた。

 

そして、

わたしは、未来にプラスになる事しか言わない、と言った。

今、こうして伝えている理由は、父母をこらしめることではなく、

わたしが受けた被害による2次災害を(うつ状態等)を、治すためだ、

ということを、伝えた。

 

たくさん被害を受けたので、覚えているものを全部言っても良いが、

時間がもったいないので、

どれを言うか、どれを言わないか、は、わたしが決める、と言った。

 

また、

わたしが、いつ、どんな顔で、どう振る舞うかは、

母の好みによって、ではなく、わたしが決定することだ、と言った。

実例として、以前、母は、

佐川急便の人に道を教えに行こうとしたわたしの腕を強くつかみ、

阻止しようとしたことを挙げた。

母へ、

このように、母は、自分とわたしの体の境界が分かっていない、

これは、おかしなことだ、これからは、侵害するな、と伝えた。

 

父と母は、

「おまえはあまえている、わたしたち父母は、精一杯やった、

これからできることは、無い」と言ったので、

「あまえ」と言う言葉で自分たちの都合のいいようにしようとすることは、

わたしへ、「死ね」という事と、同じ事、だと、わたしは言った。

(その行為は、

わたしが、幼い頃、生きるためにとりえた、たったひとつの道であった、

いまのわたしの人生の価値を、否定し、

わたしが、摂食障害やうつになる原因をつくってきたという罪を、

なかったことにすることを、意味するからだ、と伝えた。

 

また、

父、母がわたしにできることは、

わたしが過去の話をしたときは、

絶対に否定せず、あやまることだけ、と共通認識できた。

 

ちなみにこのとき、父、母は、

英語文献を読んだりして、

わたしの摂食障害やうつ状態の解決策を一緒にさがすことは、

ストレスがたまるから嫌だ、と言った。

 

この結果に、わたしは、悲しくなかった。

親が必ずしも子を守る、ということは、無く、

それに気づいたわたしは、正常だ、ということに、

この瞬間、気づいた。

 

ここで、母が、何の脈絡もなく、ただ擁護を求めるためなのか、

「わたしはボケてると思うのでのレントゲンをとった」と言った。

わたしは、母に、

わたしからの、ボケないためのアドバイスを否定しない事、

を、約束させた。

その理由として、

・わたしに、できるだけ、介護させないでほしいということ、

・わたしは、否定的な発言をする権利は、

代わる提言を備えている場合にのみ母が持ちえる、と考えるということ、

を、伝えた。

 

ちなみに、わたしは、この日とは前後するけど、

父と母に、自由意思のもと、

「わたしに、介護や病院代、老後の世話、葬式にかかる出費を、

一切、求めない」

という内容の文章を、紙に書いてもらった。
(注意です:上記書式が法的効力を持つか否かの保証はしません。)

 

これは、父母への仕返し、では無い。

私自身を守るため、でも、ない。

 

父母に、「生きてほしいと願っている」からだ。

(ちなみに、私も、「生きるために」死ぬ前と死んだ後のための意思を書いた。)

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2件のコメント

  • あや

    とても泣けました。

    私も同じようなことが家族内であり。

    たいへんつらい状況です。  

    最後の文章にもはっとしました。

    ありがとうございました!

    • syarimi

      あや様
      コメントありがとうございます。
      わたしは、あや様の状況に対してもちろん無力ですので、
      わたしの文章を読んでくださったことに感謝申し上げることだけが、
      わたしのできることです。
      貴重なお時間を頂戴し、読んでくださり、
      まことにありがとうございました。
      元気を頂きました。

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