学校に行きたくないあなたへ。小学校中学校が嫌いでたまらなかったわたしはどうなったか。

あなたは、学校に行きたくない、と思ったことはありますか?

 

わたしは、小学校、中学校に行くのが、死ぬほど嫌だった。

学校行きたくない子や!

理由は、

自分と異なる考え方をする人や、個性的である人を、

受け入れられない人、さらに、

仲間はずれの対象にしたりなど、嫌がらせをする人が、多いと感じたこと。

(先生のなかにも、個性的である生徒を潰そうとする人もいたと思う。)
そういうひとたちは、きまって、

解決策の提案を持ってこない状態で批評だけをしてくる。



それが嫌でたまらなかった。

 

ちなみに、私が行っていた小学校中学校は、入試などは無い、

偏差値に関係なく誰でも入れる、公立の小学校中学校。

 

ほかの公立の小学校や中学校も、

 

個性を潰す(解決策の提案を持ってこない状態で批評をしてくる)

 

空気に満ちていると、ひとくくりに予想はできないと思うけど、

 

難関小学校、難関中学校では、その傾向は少ないんじゃないかと思う。

(のちに大学に進学して、周りの話を聞いてそう思った。)

 

小学校、中学校のころ、わたしは、友達がほとんどいなかった。

でも、わたしを守ってくれたり、友達でいてくれたりした子も、

いてくれた。

私は、その子たち「だけ」は、今でも尊敬している。

 

ちなみに、

嫌がらせをしてきた人たちは、

成績が良くない人が多かった。

(私は、中学3年の頃のテストで、何度か学年で一番だった。)

 

高校2年の頃、私は生徒会長をやっていた。

この高校は、一応入試はあったけど、

受験者はほぼ全員入学できるくらいの偏差値の高校だった。

でも、私より成績のいい人もいた。

 

この高校にも、

わたしに優しくしてくれる人、そうではない人、両方がいた。

私自身では気づけなかった、私の長所をみつけてくれて、

そこを教えてくれて、ほめてくれる人が、たくさんいた。

成績に関係なく、たくさんいた。

 

成績・スポーツセンス・スリムさの、

3種目で最底辺を記録していたと思われる男女数名だけが、

解決策の提案を持ってこない状態で批評の言葉を、

遠くから集団でかけてくることはあったけど、

それを、面と向かって一対一で言ってきた人は、0人だった。

 

あと、上級生(3年)が私の悪口を言っていた、などと、

こちらから聞いていないのに、わざわざ言いに来た男子もいた。

でもこれは、その男子の嘘だったんだと思う。

なぜなら、

私に直接、その悪口とやらを言ってきた上級生は0人だったけど、

私に直接、卒業式での送辞の言葉がめっちゃ良かった、などと、

絶賛してくださったり、ほかにも、

長所を教えてくださったり、お褒めのお言葉を下さった上級生は、

たくさんいらしたからだ。

 

そういえば、あるとき、その男子は、

わたしが同じ高校の男子のいかに多くから嫌われているか、を

彼なりに表現したくなったらしく、

 

わたしと同じクラスの男子の名前を順に言ったあと、こう言ってきた。

「オマエこいつら全員にウザがられとるが分からんが?」

(* ↑ 方言混じりのため、この地方以外の方による解読は、きっと不可能。

アクセントの位置も方言なため、もし音声だったら、解読はおよそ絶望的。

わたしなりに訳してみると:

「お前は、

この人達全員にうっとうしいと思われていることが分からないのですか?」

となる。)

これも、たぶん、この男子の嘘だった。

なぜなら、私に直接言ってきた男子は、0人だったからだ。

 

(ちなみに、

「解決策の提案を持ってこない状態で批評をしてくる」、その言葉より低い位置に、

聞いてやる価値が、もっと低い言葉は、存在しないのでは?

と、わたしは思う。)

 

この男子に好かれようとする場合、個性を殺した女子になる必要がある。

そう思ったわたしは、

「わたしは、個性的な女子が好きな男子、に好かれたいから、

あなたみたいな男子や、あなたと意見が合う男子から嫌われても、

なんのダメージも無い。」と(方言に変換して)言ったら、

それ以来、私の半径1メートル以内に近寄らなくなって、

(例:廊下ですれ違いそうになった時、向こうから道を譲った、等)

なにも言ってこなくなった。

 

あとで大学や大学院に入ってから気づいたことは、

個性的であればあるほど、個性的な友達ができる、ということ。

(この大学、大学院は、高校入試のときよりは偏差値が高いところ。)

もうひとつ、

偏差値やスポーツセンスが最高ランクの人は、男女かかわらず、

わたしの能力を高めてくれることだけを言ってくれる、

ということ、だった。

 

ちなみに、

成人式や、なにかの集まり等で、

数年ぶりに、昔見た人たちを見て感じたことは、

推測の域ではあるけれど、

解決策の提案を持ってこない状態で批評をしてくる、

そういう人たちが交流しているっぽい人というのが、

男女関係なく、

同じように、

解決策の提案を持ってこない状態で批評をしてくるっぽい人、

ということくらいかな。

 

学校に行きたくないわたしは、学校に行った。

ほとんど休まずに。

 

でも、

「私の知る範囲、かつ、この文章を書いた当時の決まりごと」によれば

たぶん、小学校も中学校も高校も、

行かなくても、大学には行けたと思う。

高等学校卒業程度認定試験の受験資格は、年齢だけだったし。

大学入試の受験資格も、推薦を使わないなら、

認定試験で十分足りていたみたいだし【← ! 超注意です】

 

【↑ ! 超注意ください】

わたしが、

「あなたがここを読んでくださっている今現在」または、

「あなたが受験する時期」

の、上記資格たちの取得要件をここに書くことは不可能です。

 

どうか、ご自身で、必要な、正確な、取得要件を、

手に入れることをなさって下さることを、

心から、願っております。

 

信頼できる出所(でどころ)、たとえば、

・試験要項を発行する、まさにその機関(大学等)

・資格試験を実施する、まさにその機関

に直接問い合わせるか、その機関のwebサイトを調べるか、

なさってください。

学校の先生の頭の中ですら、

古い情報から更新されていないままかもしれません。

学校の先生は、人間です。

人間は、万能ではありません。

法律や決まりごとは、日々刻々と変わります。

 

***

 

わたしは、

大学院まで進学して、そのあと、従業員数X0000人くらいの企業に就職した。

大学院の頃、私を本気で怒ってくれる友達ができた。

また、

会社の「総合職」の「同期」に限定して言うなら、

個性的で、話が面白い、と私が感じる人の「割合」は、

小中高大学大学院のころより、大きくなった。

 

小学校や中学校のころ、私が距離を置いてきた人たちは、

わたしだったら就職したくないようなところに就職したらしい。

(聞きたくもないのに、誰かが勝手に私に伝えてきた情報ではあるけれど)

 

もしかしたら、彼・彼女ら(私が距離を置いてきた人たち)は、

いまでも、同じような人としか、関わることができず、

そのまま、同じまま、人生を終えていくのかもしれない。

 

あなたが学校に行きたくない理由が、私と同じなら、

あなたにも、きっと楽しい未来が待っている。

 

学校に行きたくないなら、行かないという選択肢もあると思う。

でも、周りの人の種類が、どんどん変わっていくことを知れたことは、

なかなか収穫だったかもしれない、とも、思うような気もする。

うーん、あんまり収穫じゃないのかなあ?

あなたはどう思いますか?

 

上記文章を読んでくれた方におすすめの、
しゃり子や!による、フィクション:
絶望の海岸⑨ 

しゃり子や!による、ノンフィクション:
「いじめ」「対処法」「いじめっ子自身の問題解決法の論理的破綻 」

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